大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(行ケ)27号 判決

原告

積水化学工業株式会社

右代表者

柴田健三

右訴訟代理人弁理士

酒井正美

被告

特許庁長官

斎藤英雄

右指定代理人

中村寿夫

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実および理由

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は「特許庁が昭和四六年一二月八日同庁昭和四五年審判第一、一九五号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

第二争いない事実

一、特許庁における手続の経緯

原告は昭和四〇年三月一〇日特許庁に対し名称を「土壌の安定化法」とする発明につき特許出願をしたところ、同四四年一一月二九日拒絶査定を受けた。そこで、原告は同四五年二月一八日審判の請求をし、同年審判第一、一九五号事件として審理されたが、同四六年一二月八日「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は同四七年二月二三日原告に送達された。

二、本願発明の要旨

尿素―ホルムアルデヒド初期縮合物と尿素単量体と硬化剤とからなる組成物を土壌中に注入し、その後、前記組成物を硬化せしめることにより土壌を安定化することを特徴とする土壌の安定化法

三、審決理由の要点

本願発明の要旨は、前項のとおりである。ところで、昭和三六年一〇月二〇日株式会社オーム社発行三木五三郎外一名著「土質安定の理論と実際」(以下「第一引用例」という。)には、まだ実用性は低いとしながらも土壌の安定化のために使用する樹脂結合剤として尿素樹脂が挙げられており、たとえば一九六五年一月二七日発行ゲ・デ・チュウブルウノフ著ОСНОВЫ УПРОЧНЕНИЯ ГОРНЫПОРОД(地盤改良法―以下「参照例」という。)の記載などによつても、本出願当時の当業界の技術水準として、尿素樹脂は土壌安定剤として実用性が十分あるものとされていたと認められる。また特許出願公告昭和三五年第一七二一〇号公報(以下「第二引用例」という。)には、鋳造用砂型の製造において、尿素―ホルムアルデヒドの初期縮合物(尿素樹脂)に尿素単量体を添加して硬化の程度および硬化時間を調節すること、および硬化剤として、塩化アンモニウム・硫酸アンモニウムなどのアンモニウム塩を使用することが記載されている。

そこで検討するのに、第一引用例における土壌安定剤としての尿素樹脂の改善を目的とする場合に、尿素樹脂の製造やこれが利用されている分野で開示されている改善技術を参考にするのは、当業者として当然のことと考えられるから、尿素樹脂が利用される分野の一つとしてよく知られていた鋳造用砂型の結合剤としての第二引用例に示されている尿素樹脂の改善技術を、これに利用することは、当業者が容易に想到できるところであると認められる。

そして土壌安定剤として既に知られている尿素樹脂に、尿素単量体を添加したことにより予想外の作用効果を生じたものとも認められない。したがつて本願発明は第一引用例および第二引用例から、当業者が容易に発明することができたものと認められるから、特許法第二九条第二項の規定により、特許を受けることができない。

四、各引用例の内容

各引用例・参照例には審決指摘どおりの技術内容の記載があり、本願発明も第二引用例も、尿素単量体が尿素樹脂に添加されたのち尿素樹脂化して硬化する反応機構自体は同一である。

五、尿素樹脂の技術分野

尿素樹脂が利用されている分野の一つとして鋳造用砂型の結合剤があることは周知であつた。また樹脂結合剤としての尿素樹脂の改善を目的とする場合に、尿素樹脂の製造あるいはそれが利用されている他の分野の改善技術を参考にするのは当業者として当然のことである。

第三争点〈略〉

第四証拠〈略〉

第五裁判所の判断

一尿素樹脂の出願当時における実用性について

第一引用例が土壌の安定化に使用する樹脂結合剤として尿素樹脂をあげながらも、まだ実用性が低いとしていることは、争いない事実である。

ところで〈証拠〉(参照例)、〈証拠〉(証明書)、〈証拠〉(証明書)を総合すると、審決のあげる参照例は、一九六四年一二月一五日、版が組み始められ、翌六五年一月二七日に印刷することが承認され、同年(昭和四〇年)四月にモスクワで発行されたもので、原告主張のとおり本願出願当時公知刊行物ではなかつたが、他方前記出版の経緯からして少なくとも一九六四年(昭和三九年)一二月一五日以前の事実を記載したものであることが認められる。そして、その記載内容として、尿素―ホルムアルデヒドMφ―一七をふくむ合成樹脂を用いる地盤固化の方法が開発され、実用されはじめている旨、およびソ連科学アカデミー鉱業研究所による尿素―ホルムアルデヒドMφ―一七を用いたそれの具体的な実験結果が収載されている。

また、成立に争いない公知刊行物である〈証拠〉(昭和三九年八月三一日東京炭鉱技術会発行東炭技会報「ウーゴリ(石炭)」第三九号所載、ヴエ・ヴエ・ダブイドフ著「改良添加剤を加えた合成樹脂溶液による岩盤の強化」)には、尿素―ホルムアルデヒドMψ―一七を含む土壌安定剤により砂質岩盤を強化する研究が硫黄採堀場で現場試験され、水理・地質条件の悪い炭鉱の建設における岩盤の強化に適用できる旨記載されていることが認められる。

さらにまた〈証拠〉によると、遅くとも一九六四年(昭和三九年)一二月一九日までにインド国内に頒布されたものと認められ、公知刊行物である乙第一号証(インド特許第八五九七七号「外孔質地層のシール組成物」明細書―一九六三年一月八日出願、翌六四年四月二八日受理)には、実施例として尿素樹脂土壌安定剤が大きなビルデイングの基礎安定強化のために注入使用されたことが記載されている。

しかも、〈証拠〉(第一引用例)によれば、第一引用例は昭和三四年五月に発行されたことが認められ、以上の各事実を考えあわせると、本願出願当時の技術水準として尿素樹脂が土壌安定剤として、実用性を十分そなえていたものと認められ、この点に関する審決の認定には誤りはない。

なお、原告が実用性が低かつた原因としてあげる粘度と注入・硬化後の強度の問題も、以上の認定事実とそしてその根拠となつている〈証拠〉に〈証拠〉(本願公報)、〈証拠〉(実験報告書)を総合して検討すると、〈証拠〉(参照例)ないし乙第四号証における尿素樹脂、乙第一号証におけるそれは比較的粘度は高いものの実用的な圧力の範囲で注入が可能であり、所要の硬化後の強度を得ていたものと認められ、実用的に処理されていたものと考えるほかはない。

二第二引用例を転用することの容易性について

〈証拠〉(第二引用例)、〈証拠〉(昭和三七年三月三〇日、日刊工業新聞社発行、接着技術便覧編集委員会編「接着技術便覧」)、〈証拠〉(昭和三七年二月二五日株式会社コロナ社発行、堤信久著「鋳造」)を総合すると、次のように認定することができる。

第二引用例は「鋳造用砂型の製造法」として、本願発明が適用される土木工学とは異なる治金工学の分野で使用されることを目的とし、従つて硅砂などの硬化といつても、鋳物になる溶融金属が発生する水蒸気その他のガスを通過させるため、生型として硬化した後の通気性を確保する必要上、表面に限定された硬化にすぎず、土壌安定化のように結合剤としての樹脂溶液を深層まで注入するものではなく、その粘度は、砂型の内部に浸みこみ易いものであつてはならず、噴霧できる程度のものであればよい点に、土壌安定剤とは異なつた特徴がある。

しかしながら、使用される最終目的が違う分野に属するといつても、第二引用例の鋳造用砂型の製造法自体は冶金そのものではなく、硅砂を主体とする生型の表面硬化であり、本願明細書がその実施例で豊浦標準砂を使用して実験を行つているように、本願発明は砂をふくむ土壌の粒子を固化しようとするものであり、同じ尿素樹脂により結合しようとする被結合物において類似しており、つまりは結合手段を同じくするものといわねばならない。また粘度の高低に関しても、前示のように第二引用例のような分野においても、粘度に関する認識を全く排除するものとはいえないから、結合剤の樹脂溶液としての本質的な差異とすることはできない。

また尿素の添加により(イ)表面硬度の増進、(ロ)ホルマリン臭の除去、(ハ)硬化時間の調節をはかる点では、第二引用例も、本願発明も、共通の目的を達成しようとするものである。

そして土壌安定剤の特性として要求される硬化後の圧縮強度(液体不浸透性)の問題は、第二引用例における表面の硬度増進すなわち鋳造用の溶融金属に接して炭化され、通気阻害の有無が問題にならない厚さ(幅)の範囲での硬化の機構・効果とは関連がある。

なお尿素樹脂の結合剤・接着剤としての使用は、利用される目的・用途は異なるとしてもかなり普及され、解明されていたものである。

しかも尿素樹脂が利用される分野の一つとして鋳造用砂型の結合剤があることは周知であり、樹脂結合剤としての尿素樹脂の改善を計る場合に尿素樹脂の製造やそれが利用されている他の分野の改善技術を参考にするのは当業者としての常識であること、また本願発明も、第二引用例も、尿素単量体が尿素樹脂に添加された後、尿素樹脂化して硬化する反応機構が同一であることは、いずれも争いないところである。また尿素樹脂が土壌安定剤として実用性あるものとされていたことについては、前項認定のとおりである。

以上各事実をてらしあわせて検討すれば、第一引用例に示された土壌安定剤としての尿素樹脂の改善に、第二引用例に示された尿素単量体を添加する方法を転用することは、当業者であれば容易に考えつくことというべく、従つてこの点に対する審決の判断に誤りはない。

三本願発明の作用効果について

〈証拠〉(本願公報)、〈証拠〉(第二引用例)に〈証拠〉(実験報告書)、〈証拠〉(粘度と全尿素量との関係グラフ)、〈証拠〉(粘度と強度との関係グラフ)を総合して検討すると、次のように認定することができる。

尿素―ホルムアルデヒド初期縮合物のある一定濃度の液に尿素を加えてゆくと粘度が低下してゆき、また初期縮合物の濃度如何によつては尿素を加えていつても粘度の低下は殆んどみられないが少なくとも増大はしない実験結果があり、また尿素が水溶性に富み、初期縮合物の方が粘度が大きいというそれぞれの性質を考慮して、本願発明の実施例に当つてみると、本願発明において、初期縮合物に尿素を添加することにより、樹脂溶液の粘度が、同じ尿素量を有する初期縮合物単独の樹脂溶液の粘度に比べて相対的に低く、従つてそれだけ土壌への注入が容易になり得る効果が少なくとも期待できる。

しかしながら、まず第二引用例において、樹脂溶液における初期縮合物の製造法と製造条件とが殆んど同じであり、かつ噴霧機で吹付けするものとされているところから、本願発明における効果として期待される粘度はすでに第二引用例においてもおおよそ実現しているとみられること、つぎに本願発明においては、組成割合に数値的限定がないこと、本願発明が同じくその効果として期待している硬化時間の調節、ホルマリン臭の除去の目的のためにも尿素単量体の使用量が加減されるものであること、施工場所の条件によつては、水による粘度の調節を要するとしていること、従来の土壌安定剤との効果の比較としては、尿素―ホルムアルデヒド初期縮合物のみによる樹脂溶液とのそれしかないことなどの諸点を考慮に入れると、樹脂溶液の粘度を低め注入を容易ならしめるという効果自体もただちに顕著なものとはいい難い。

そして注入硬化後の圧縮強度を十分に確保できるとする点について検討してみると、従来法と比較して格別優れた結果は示されていない(最大三〇%増)し、また初期縮合物に尿素を添加することによる硬度の増進は、既に第二引用例に明かに示されているので、硬度に関連する圧縮強度の増大は予期できる範囲のものというほかはない。

そうしてみると、原告の主張する作用効果の顕著さはにわかに認めがたく、他にこれを示す証拠もないから、土壌安定剤として予想外の改善が認められないとした審決の認定に誤りがあつたとはいえない。

四結論

そうすると、本件審決には原告の主張する事実認定・判断の誤りはないから、原告の本訴請求は失当として棄却せざるを得ない。

よつて、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(古関敏正 宇野栄一郎 舟本信光)

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